8/30 7日目
8:30 集合
8:50 乙支路入口駅
植民地時代には明洞の近くは日本人の街だった。(三井物産の元支社など)
日本統治時代の黄金町→乙支路に
アメリカ文化院を韓国学生が三日間占拠した。
民主化運動への弾圧にアメリカが関わっているとして反米の動きが強まってくる。
9:00 プレジデントホテル、ツアー手続
9:50 バス出発
10:00 戦争記念館
・韓国の経済レベルは当時下から3番目だった。→その後の経済成長
・1950年6月25日に北からの宣戦布告もない急な攻撃で開戦
7月27日は休戦記念日
・韓国と北朝鮮の両国の呼び方など、まだ二国間の摩擦は存在しているといえる。(韓国では北朝鮮のことを복한 (北韓)と呼ぶ。北朝鮮とは言わない。北朝鮮: 韓国のことを남조선(南朝鮮)と呼ぶ。)

12:18 昼食 プルコギ
(鉄道図、望拝壇などの説明)
13:50 バス乗車
14:10 板門店 見学
16:15 バス乗車
17:30 到着
17:50 夕食 チーズダッカルビ
19:20 ミーティング
・旅行では行けない所に行くことができて有意義だった。
・戦争に初めて触れて辛い事実もあったが、これから向き合っていかなければならないと感じた。
・戦争の記憶は残していかなければならない。
・目上の人を敬う文化はアジアのみ?
坂本萌果 より:
2017年8月31日 7:50 AM (編集)
たくさんの国の人々が国連軍としてそこまで多くの人が戦争に参加していたということを改めて感じた。今では世界の中で経済の順位は上位である韓国だが1950年の韓国の経済は世界で下から3番目くらいだと知り、低い順位だと予想はしていたがそれ以上に貧しい国であると知った。
朝鮮戦争は宣戦布告もなかった奇襲攻撃ではじまり、最初は北が優勢だったが、仁川上陸作戦により南が優位になっていった。朝鮮半島全土にわたっての攻防戦ははじめは釜山まで北が攻めのちに南が中国との国境付近まで攻め返すという流れだが、範囲が広ければ広いほど犠牲者が増えるのかなと思った。しかしみんなが反対した中、大胆な作戦である仁川上陸作戦を遂行しソウルを奪還したマッカーサーは偉大であり、世紀の博打という名前がつくのも納得だと思った。
授業で勉強したことだけど記念館にきて改めてきちんと朝鮮戦争のながれを理解することができ、実際に現地で見て感じることにより深く色々なことを感じた。
返信
河口光輝 より:
2017年9月3日 11:19 AM (編集)
朝鮮半島が日本の植民地支配から解放した後の韓国は貧しい国にであった。なぜなら、日本の植民地支配時代では日本だけが経済的な知識を持っていたため日本軍が撤退してしまったら、日本が作った鉄道などを動かす知識を引き継いでいなかったからである。
朝鮮戦争で韓国軍の武器や兵士の数は北朝鮮よりも少なかった。また、武器は訓練用のものであった。そのため、北朝鮮軍は一気に釜山まで攻めることが出来た。そして、マッカーサーは仁川上陸作戦を提案したが、国連軍のほとんどが賛成しなかった。なぜなら、仁川の周辺海は干満の差が激しいのでこの作戦は失敗すると考えていたためであった。
返信
藪下祥子 より:
2017年9月14日 6:06 PM (編集)
三井物産の元支社があるなど、植民地時代の明洞付近は日本人の街だった。また日本統治時代の黄金町として乙支路ができた。今まで旅行で韓国に来て明洞や乙支路を何度も歩いたがそこを日本人街だったとか統治時代の黄金町として見たことは一度もなかったし、今後は違う見方で歩くことが出来そうだと思った。
韓国の生活水準は世界でワースト3位であり、国連軍の犠牲のおかげで世界に韓国が知られたと言っても過言ではない。しかし国連軍があらわれても戦争はどんどん勃発した。北朝鮮と韓国も現在は停戦・休戦中であるだけで、決して戦争が終わったわけではない。それを聞いた時、自分が今、休戦中とはいえまだ戦争が終わって居ない国に滞在していることに緊張感が生まれた。
宣戦布告もなく北との戦争が始まったとき、母親が子供をつれ、頭にものを乗せて逃げたというその光景を、想像するとどうしても映画のワンシーンのようになってしまう。数年後にはそのシーンが現実になっててもおかしくないと思うと怖くなった。
戦争記念館に行った後にD.M.Zに行くと去年の夏とは心持ちが違った。実習が終わった今、北朝鮮からミサイルが発射され日本にいる家族や友達からは心配の連絡ばかりきていたのに、休戦中だとはいえ対立しあう国の境界線部分で大勢が写真を撮ったりしていたあの状況がすこし変に感じる。
返信
笈川知代 より:
2017年9月17日 11:05 PM (編集)
板門店ツアー参加者は自分達以外にも英語圏からの参加者が非常に多く、南北の抱える分裂問題が多くの人達に関心を抱かせていることが伺えた。また、歴史館の中では韓国側の解釈による朝鮮戦争の動向を軸とした説明を受けた。英語圏の人達と私達は通訳の関係上ということもあってか別々のグループで行動したが、巡回する際に別グループが同じルートを回っていたのかはわからなかったので、歴史館の紹介の仕方に差異があるのかどうかということも疑問に思った。朝鮮戦争な動向については事前学習によって概ね理解していたが、離散家族の発生する状況など学習時には想像に至らなかった点や、戦死者数や戦死者国籍、南北の戦線の推移の地図といった数値やデータなどの検索に時間を要した資料を見つける事が出来たのは個人的には大きな収穫ではあったと思う。メインの板門店見学は今回の実習で一番興味があり見学前からどのような内容なのかとても気になっていたが、持ち込む手荷物等いくらかの制限はあったものの室内の撮影は比較的自由で完全に観光化されていると感じた。また、村にある田んぼを見たところ耕地面積が思いのほか大きかったので、村の人口や村民がどのような生活を送っているのか気になった。