8月31日 8日目

8時10分 出発
8時20分 忠武路駅
8時30分 ソウル駅

ソウル駅の作りは東京駅と同じ

9時25分 KTXソウル出発
11時13分 東大邱到着

김태완さんの旅行センターに荷物を預ける
11時30分 昼食
12時49分 東大邱駅出発
12時53分 七星市場

歩道車道関係なしに荷物がはみ出てる


13時10分 バス乗車

バスの運転手急に交代
降りた運転手はすぐ脇に止めてあった自分の車へ

14時 鹿洞書院

沙也加は日本人だが、日本にいた頃の記録は残っていない。平和主義であったとの記明があった。
歴史資料は難しい。事実と、子孫が義務として作った膨らんだ事実とを見分けるのが難しい。

15時25分 バス乗車
16時15分 大邱駅バス到着
16時34分 地下鉄新村駅到着
16時56分 新村駅再出発
17時06分 半月堂駅で乗り換え
17時13分 新南駅
17時23分 ゲスハ到着
17時43分 ゲスハ出発
17時52分 新南駅出発
18時00分 半月堂駅到着
18時15分 夕飯
20時40分 到着

坂本萌果 より:
2017年8月31日 11:51 PM (編集)
金忠善の子孫の義務は金忠善がいかに素晴らしい人かということをまわりに伝えることであり日韓交流を盛り上げるためにも鹿洞書院を盛り上げたいという考えだった。理由はどうであれ日韓交流が盛り上がるということはいいことなのではないかと思った。
日本人らしさをずっと維持したわけではなく韓国人としての沙也加を讃えそれを地盤に日韓交流をしようとしていたり、子孫が書いた慕夏堂文集では夏を慕う→文化が高いところを慕う→中国を慕うというように金忠善が文化の高いところを慕って朝鮮に寝返ったということをまとめた文集などは事実の歴史と子孫の義務として膨らませたものが混ざっているので歴史的な資料としてどこまで使えるかわからないため歴史と膨らませた部分を見分けることが大切であるが、わたしはまだ分析と批判をきちんと出来ていないのでそこをしっかりとできるようにしていきたいと思う。

返信
河口光輝 より:
2017年9月3日 11:27 AM (編集)
沙也加は日本的文化思想を持ったまま一生を終えた訳ではなく日本的文化思想から朝鮮的思想に染まりながら一生を終えたということである。
沙也加の子孫は義務として文書を書いているため、子孫の想像という可能性がある。
沙也加が日本にいた時のことは予想で書かれている。沙也加が朝鮮に来たときのものは事実である。
鹿洞書院のガクは皇帝が授けたものである。皇帝からガクを授かるということは位が高くなるということである。
日本が植民地支配をしていた時は沙也加の事を文書にして提出したところ、日本政府は日本の武士が日本を浦切ることはしないと言われひどい待遇を受けた。なぜなら日本政府は西洋の考えで考えたためである。
私は歴史事情を考えるときに現代の考えで物事を見ていたことがあった。しかし、そのような見方で見ると、物事の本質が見えなくなってしまうことがわかった。

返信
藪下祥子 より:
2017年9月14日 6:28 PM (編集)
鹿洞書院は沙也可が老後に家族と過ごした場所であり、金忠善という名前をもらった人の子孫達が、自分の先祖の功績を必要以上に讃えている。沙也可は元日本人だが、日本的感覚ではなく韓国人の感覚で日韓交流をしている。そこには韓国人になった元日本人という複雑さが垣間見える。達城韓日友好館内には確認されている情報もあれば、確認されていないことも書かれているが、韓国人にとって沙也可が寝返ったことに意味があるため、寝返る前のことはなくてもいい情報とされている。インターネットが普及して、調べれば大体のことは解決することができる現在だからこそ、沙也可の身元がわからないことに対して「おかしい」という疑念が生まれてしまうが、本来は昔の人の個人情報など分かるはずがないのである。事前学習で大邱についてプレゼンテーションを作ったとき沙也可に関しての情報がどれも曖昧で困った覚えがある。沙也可のことがなければ、私はずっと、ネットで検索すれば全てわかるようになるということが当たり前であると思い込んでいたかもしれない。

返信
笈川知代 より:
2017年9月17日 11:54 PM (編集)
大邱駅周辺は新しく綺麗な建物もあり比較的栄えていたが、少し離れた七星市場で降りると大邱といった大きな駅やソウルなどの都市との経済的な格差を感じた。鹿洞書院で沙也可に関する展示を見学したが、沙也可が寝返る前の情報はなかった。朝鮮に渡る前の情報が明らかになっていないことから沙也可の存在自体が虚偽なのではないかという憶測が生まれがちであるが、寝返る以前の情報は重要でない為明らかにしていないとのことだった。ある事柄を調べて情報がなかった際、なぜ情報が無いのか推測する事も大事だと思った。鹿洞書院は90年代から増加した地方自治体の日韓交流の一つとのことだが、沙也可の日本での知名度はあまり高くはないのでそれは寝返った者としての印象があることに起因しているのかとも感じた。沙也可という日本からしてみれば寝返った人物(当時は沙也可が日本兵であるという概念は無いと思うが)を日韓交流の材料にしているのは面白いなと思った。