3日目

9:00 出発

10:30 江華歴史博物館
支石墓

11:20 バス出発

11:50 平和展望台

13:00 昼食

13:35 登山

13:50 三郎城

伝灯寺

14:20 バス出発

14:36〜15:15 광성보 広城堡

15:24〜15:40 草芝鎮

16:50 夕食

18:20 松亭駅から5号線に乗車

19:02 乙支路4街下車

TAMANO より:
2017年8月26日 9:05 PM (編集)
江華島歴史博物館では、江華島での巨石文化の資料の展示、他国間との軍事事件に関する資料、伝統的な建築を見ることができた。しかし、江華島事件における日本の資料はなかった。
平和展望台は北朝鮮から2.3㎞離れた位置に2008年に置かれ、他の展望台とは違い、韓国側から北朝鮮住民の農作業姿や住宅など日常生活の様子を双眼鏡で見ることができた。思ったより近い印象を受け、また北朝鮮側からの音楽が聞こえたことから少し緊張感が増した。
伝灯寺では仏教文化の象徴でもある鮮やかな本殿が見られ、また三郎城に囲まれ守られている印象があった。また韓国でのお経は日本とほぼ同じであり仏教伝来に差がないことがわかった。
広城堡では、1871年に朝鮮とアメリカ軍の間で起きた軍事衝突事件の決戦地で、現在は朴正煕時代に文化遺産として残すため城門や大砲、慰霊碑が設けられた。ここではいかに早く近代国家になったかが表記されることによって表していることがわかった。

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坂本萌果 より:
2017年8月26日 9:55 PM (編集)
年号はだれが支配しているのかをはっきりさせるものだということを知らなかったが、ま韓国で中国の年号が使われているというのは不思議に思ったし、韓中が密接に関わりがあったのだなと思った。
江華島の周りは干満の差が大きいため船がソウルの近いところまでいけるが敵が攻めてきてそこを抑えられたらソウルは機能しなくなると聞いて怖いなと思った。韓国側からの歴史の展示の仕方を見ることができて新鮮だった。
伝灯寺では仏教の礼拝の仕方が日本と違うが韓国語と日本語のお経は漢字の読みを起こしてるのでほぼ同じだということがわかった。また建築物は日本に比べて華やかな印象を受けた。

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河口光輝 より:
2017年8月26日 10:40 PM (編集)
江華島歴史博物館にある文書は唐の元号を使っているものとそうでないものがあった。これは朝鮮半島の時間は唐が支配していたということであった。また、元号を使っていない文書には乙などを表記する。これにより、時間の支配を中国から脱却した。時間の言い方によってその国のトップが掌握しているという感覚が自分はわからなかった。
広城堡はジェネラルシャーマン号が落とされたためにアメリカが調査と報復として来たところである。1978年に無名勇士碑は朴正煕が文化遺産として建てた。国民国家になる前は、戦争することができる人は限られていた。つまり、百姓は戦争に参加できなかった。国民国家では国民全員に戦争に参加できるようになったために有名戦士と無名戦士という形で慰霊碑に残すことになったことがわかった。

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Mok Jinhyeon より:
2017年8月26日 11:24 PM (編集)
8/23-24 二日間ソウルと江華島の様々な所を回った。私の場合は今までそれぞれの場所を訪問したことがあったので、大まかな内容や歴史的な事実は知っていると思っていた。しかし、今まで知っていたことは少し短絡的な部分があり、その時代の歴史と今の私の知識とはズレがあることを気づいた。例えば、広城保で米国と戦った魚在淵兄弟と朝鮮軍については韓国人であれば、大きいプライドを持っている。そして、広城保には「辛未洋擾殉國無名勇士碑」という碑石が立てられている。しかし、その碑石は朴正煕大統領の時に立てられた。そのことで、朴正煕は文化や歴史に多くの関心があるように見えるが、簡単に判断することは難しい。なぜなら、その碑石が建てられた1978年は、軍事独裁が最も強かったからである。また、アメリカは国際法の国家でもちろん国旗もあった。しかし、その時朝鮮は国際法的な主権国家ではなく王朝国家であった。それにも関わらず、朝鮮を国際法的な国家として考え、「辛未洋擾殉國無名勇士」という碑石を立てたのは、私たちの理解と歴史事実には大きなズレがあると考えられる。今までは表の碑石の文字内容や表面だけを見ていたが、碑石の後ろを見る必要があると思った。

統一展望台ができた背景は、80年代まで韓国で北朝鮮を見せることはなかったが、それ以降の韓国の経済発展で北朝鮮よりよくなったことが認識できるようになってから。北朝鮮の姿を国民に見せるようになった。

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藪下祥子 より:
2017年8月27日 12:25 AM (編集)
年号は皇帝が時間を支配していたことを表しており、天を祀るようになってから朝鮮にも年号ができた。(できるまでは中国の年号を使ってた。) 書かれている年号がどの国のものか分かれば、誰が時間を支配しているかをはっきりさせることができる。
また、ソウルへ流れる川と江華島のを流れる川の分岐点(チョジジン)を攻められるとハニャン(=現在のソウル)にも影響する。チョジジンに隣接する川は海から流れてきており干満の差が激しいため、満潮時は大きな船で攻めることが出来ず、干潮時は小さな船でたどり着くが船から降りた時に朝鮮側からの攻撃を受けることになる。
今回のように江華歴史博物館に行ってソウル周辺と江華島チョジジンとの繋がりを知った後に、実際にその地に直接行くことでさっき見た地図上のあの部分に自分が今いるということを体感し、観光旅行では出来ない体験ができていることに気付いた。

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菅原理子 より:
2017年8月29日 11:30 AM (編集)
この日はミサイルが発射されたというニュースがあった。そのような状況の中で平和展望台を訪問し北朝鮮の様子を一部覗いてみたが、自然が豊かでおどかな田舎のような印象うけた。南山タワーから見たソウルの景色とは全然異なる景色が広がっており高層ビルなど1つも見ることはなかった。肉眼で北朝鮮が見えるくらいの距離であっても厚い壁があるように感じた。
また、午後には韓国の伝灯寺に行った。韓国のお寺は基本的に山の上にあるという特徴があり、実際に伝灯寺も坂を登った所にあった。寺は外観はとても彩りが豊かであった。

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笈川知代 より:
2017年9月17日 11:03 PM (編集)
江華島は自分が事前のプレゼンを担当したこともあり訪れた各地に関する歴史的事象などある程度理解していたので、展示物や遺跡を自分の知識と結び付けながら見学でき有益だったと思うと共に事前学習の効果を実感した。また辛未洋擾の石碑を見た際、石碑の裏から石碑が作られたのが朴正煕政権時であるという情報を得て、そこから辛未洋擾が発生した時代や石碑が建てられた時代を考慮すると、国の体制も違う時代の事象をどう解釈しどういう意図で石碑を作成したのかなどといった考えが駆け巡ったが、普段であれば石碑をただ見て存在を確認するだけで終わっていたと思う。隈無く観察する事の重要さを感じたほか説明や解説が無ければそこまで考えが至らなかっただろうとも思った。