8時50分 ロビー集合
9時 出発
[한국의집]
・日本による植民地支配時の政務総監の官邸があったところ
・解放後、日本の海外渡航自由化のあと、外貨収入を増やすための韓国文化紹介のための観光施設として作られた。
[南山1号トンネル]
・北朝鮮との武装衝突を想定して市民の安全を「口実」に、1971年に国がわずか1年半で作り上げた。建設動機として掲げられたのは「交通問題」というより、「安全保障」であった。
・南山は風水的には重要だが、現代都市の真ん中に山があることは邪魔である。
[従軍慰安婦のモニュメント]
・個人と団体からの寄付により作られ、寄付をした団体や個人の名前が明記されている。保守とリベラルの立場がはっきりすることになるが、「はっきりさせること」が重要視されていた側面もある。
・KCIAで拷問を受けた(反政府側の)人々も設立者の中には少なくない。
[SEOUL YOUTH HOSTEL(元KCIA)]
・反政府運動の学生・市民を連れて来て取調べと称して拷問し萎縮させた。
・屋上に立っているアンテナはソウル市内の広範囲に指示を送ることができたことをうかがわせるもの。
・反政府運動の情報収集も重要な任務であった。
[南山韓屋村]
・オンドルは煙を出す煙突が大切。
・一酸化炭素中毒にならないように、部屋の上の方についた窓は常に少し開けてあった。
・暑い時はドアが上げられるようになっている。
・木はあまり上質とは言い難い(ヒビが入ったり収縮して隙間ができる)。
・今はこうした建物を使って講習会なども行われている。
11時15分 忠武路駅2番出口大韓劇場前
バス乗車
11時35分 南山ソウルタワー駅でバス降車
[南山ソウルタワー]
・北朝鮮からの攻撃があった場合は、漢江にかかっている橋を通って南へ逃げることを想定する人は多い。
・過去に北朝鮮からの攻撃を受けた時は、韓国軍が防衛戦を確保するため漢江の橋を爆破し、橋を渡って避難しようとしていた市民が多く犠牲になった。
12時43分 南山ソウルタワー駅でバス乗車
13時41分 忠武路駅から明洞へ
[三越本店]
・形は昔から維持されている。
・本町通りは日本の銀座にあたる街である。
[韓国銀行博物館]
[ソウル図書館]
・W杯開催時は目の前の広場に人々が集まって応援をした。
[환구단]
・元々「忘れられた遺跡」であったが、近年脚光を浴びて周辺私鉄物の工事が行われ、観光地が図られている。
[清渓川]
・人口の川で、莫大な管理費を必要とする。
17時10分 乙支路1区出発
17時16分 梨大到着
17時30分 ミーティング
18時 タッカンマリ
19時 宿舎に出発
19時30分 宿舎に到着
坂本萌果 より:
2017年8月25日 10:37 PM (編集)
南山1号トンネルは北朝鮮との武装衝突を想定して市民の安全を「口実」に、1971年に国がわずか1年半で作り上げた交通問題というより安全保障のための橋であるが、私は1年半という短い期間で作られた橋自体が安全なのか疑問に感じた。
また、SOUL YOUTH HOSTEL(元KCIA)では反政府運動の学生・市民を連れて来て取調べと称して拷問していたため、韓国映画の拷問シーンは迫力があるらしいがみたことがないので少し見てみたいと思った。
返信
藪下祥子 より:
2017年8月26日 1:19 AM (編集)
忠武路の南山公園にある「慰安婦記憶の場」では、元慰安婦が追悼されており、元慰安婦の名前や証言などが刻まれた記念碑がある。慰安婦といえば今年の1月、韓国は「従軍慰安婦の資料」を記憶遺産登録を目指し出している。公園内には、寄付者の名前を寄付金額順に記録した石碑も設置してあり、そこに名前が刻まれるということは、保守派なのかリベラル派なのかが目に見えてわかるということであるが、中途半端にあちこちへ寄付して小さな人気をかき集めるよりも、はっきりわからせることで安定させておく方が賢明な判断だと思った。
またその後に行った韓屋マウルでは、ドラマなどによく出て来る韓国独特の家の造りの背景がよくわかった。オンドルがある部屋とない部屋に分かれており、オンドルがある部屋は床から20cmほどの壁があり暖気が逃げないようになっている。オンドルがない部屋は、風通しが良く、夏でも涼しく感じる。オンドルを使うのに一番大切なのが煙突であり、一生懸命火を焚いても煙突が詰まっていたら意味がない。また空気より軽い一酸化炭素が部屋の上空に溜まってしまわないように韓国の家は上の方に小さな窓があることが多い。オンドルがない部屋でも、床が黄色く壁が白い韓国の独特な家の色味はもともと、韓屋のオンドルの部屋の色であり、日本人が畳の部屋で落ち着くのと同じように、韓国人もその二色の部屋が落ち着くのだという。
返信
河口光輝 より:
2017年8月26日 9:28 AM (編集)
南山1号トンネルと2号トンネルは交通的問題というよりは軍事的問題で作られた。軍事的問題とは、北との戦争で市民を南に避難させるためであった。
韓国の伝統的家屋は暖炉がある部屋には部屋が暖まると色が変化する床がある。また、窓は床から少し高い位置にある。現在でも機能的ではないがある。暖炉の火をたくところには高い位置に窓がある。なぜなら一酸化炭素中毒にならないためにある。
今のソウルの米軍基地はもともと日本の軍事基地だった。日本の植民地支配が終わり、その跡地をアメリカが日本の後を引き継ぐ形となった。
漢江を隔てたところに橋がある。朝鮮戦争の時に北から攻められたときに市民が避難していたのにも関わらずこの橋を爆破したとされた。現在では、漢江を隔てた奥には高層マンションが多く富裕層も多い。
朝鮮銀行の前で三一独立運動が行われた。死傷者は200万人であった。今では、朝鮮銀行の近くその石碑があった。
朝鮮はもともと天を奉る建物を建てていなかったが、환구단は1900年代に建てた。この建物は天を奉る建物である。そのことにより、それに対して喜ぶ朝鮮人もいれば、劣等感を感じている朝鮮人がいる。なぜなら、朝鮮が皇帝になったという意味ににもなるし、逆に皇帝になれなかった時代の劣等感という意味にもなる。
清渓川は今では、人口の川となっている。費用も高い。もともと清渓川は下水処理に使われていて、人が立ち入る事ができないくらいにひどかった。
返信
菅原理子 より:
2017年8月26日 2:31 PM (編集)
KCIAの跡地であるSEOUL YOUTH HOSTEL訪問した。ここでは反政府運動の情報集め、反政府運動の学生・市民を連れて来て取調べと称して拷問が行われてたと言われている。例えば、水を使った拷問というな面には分からないような拷問がここでは繰り返されていたと言われてる。そういった拷問を経験した人は現在も健在であり、韓国の映画などに出てくる拷問のシールはリアルであるそうだ。
そしてseoul youth hostelにはKCIAの時に使われていたアンテナが屋上にはまだ立っていて当時の面影を垣間見ることができた。
返信
笈川知代 より:
2017年9月17日 11:01 PM (編集)
過去にソウルに訪れた際は国の都としては周りに山があり交通等から考慮すると不自由な面もあるのではないかという印象を持ったが、例えば北からの武力侵攻といった安全保障上の問題を想定すると腑に落ちる部分があった。周りが海に囲まれているか、それとも外国と隣接しているかという地理的条件からも都の形に差異が生じるのだなと思った。また、ソウル図書館の前の広場では日韓W杯時に大勢の人が集まったほか、牛肉輸入反対デモが行われた場でもあるという説明を聞き、韓国の食肉動向をテーマとした報告書作成を検討している身としては詳細が気になった。