9月16日 板門店

校外実習10日目です!
今日は板門店ツアーに参加しました。

午前は戦争記念館に行きました。
ここでは主に朝鮮戦争の歴史について、ボランティアのかたに説明をしていただきました。
パネルやオブジェ、本物の戦車などが展示してあり、目で見て当時の様子を感じとることができました。

また、韓国が貧困国から世界各国の援助を受けて経済発展を遂げていったようすを学びました。

お昼はプルコギを食べました。
日本のすき焼きに似ていて、甘めの汁で煮た牛肉でした。

午後からはいよいよツアーのメインである板門店に向かいました。
バスの中でガイドさんが、北に向かって手を振ってはいけないや指を指してはいけない、写真撮影禁止の場所などの注意事項をお話してくださいました。
三十八度線は超えることは出来ませんでしたが、会議室の中だけでは北朝鮮に行くことができました。
北と南の境界はマイクで区切られていました。
日本が休戦ではなく、終戦という形で戦争を終えたことで、私たちには自由があり、それがどんなに幸せなことであるかを感じさせられました。
北朝鮮の建物や軍人を間近に見ることができ貴重な体験だったと思います。

夜は、社会学部の学生と会食で、タッカンマリを食べました。
夕食後は、一緒に漢江の夜景を見に行きました。想像以上に大きくて長かったです。

残りの実習も有意義なものにしたいと思います!!

投稿日:2014年9月16日作成者齋藤ゆりか

宮田祐磨より:
2014年9月18日 12:58 AM
板門店ツアーに参加して僕が感じたことを書きます。

まず、僕自身の大きな誤解が一点。「北緯38度線=北朝鮮と韓国の国境である」ということは誤りであるということです。それは、今回のツアーで青い小屋の中に入って訪れたのは北朝鮮側の土地であって38度線を訪れたわけではないと意味です。朝鮮戦争の勃発から、休戦協定が締結されその発効に至るまでの期間、戦線は大きく変動しますが、最終的に38度線を境にして南側にも北朝鮮領があり北側にも韓国領が存在しています。従って、必ずしも38度線が国境の意味ではないということです。また、38度線付近に住む人々の中には戦争の前後で国が変わり、土地や財産が分割され家族までもが現在に至る60年近くの間、離れ離れになった状態にあるということも意味しています。

次に、板門店に向かう道中で実際に渡った「イムジン河(臨津河)」について思うことです。映画「パッチギ」のあるシーンでこの河を主題にした「イムジン河」という歌が歌われます。また、参考程度にWikipedia で書かれているその歌についての説明の一部が以下の通りです。

日本語詞のついた「イムジン河」のうち、最もよく知られているのが1968年にザ・フォーク・クルセダーズが歌ったものである。臨津江 (リムジン江) で分断された朝鮮半島についての曲であり、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、なぜ南の故郷へ帰れないのか、誰が祖国を分断したのかを鳥に問いかけ、故郷への想いを募らせる内容である。

実際の歌がこれです。https://m.youtube.com/watch?v=wc1jZcIXfGI (YouTube より)

以前からこの歌について関心を寄せていたので、今回のツアーで実際に、歌の主題となったイムジン河を眺めることが出来、非常に印象深かったのと同時に、歌詞の含意をより深く考えるようになりました。是非、関心があれば聞いてもらえたらと思って紹介しました。

最後に、目に焼き付いた板門店の様子と緊張感漂うJSAの雰囲気についてです。腕を軽く曲げた状態(腰の拳銃が素早く取り出せる構え)で、韓国側からジッと北朝鮮側を見ている兵士は最低30分間はその体制を維持しているそうです。また、自分たちと歳が近そうな韓国軍兵士がいて、彼らが銃を携え、門の開閉や交通整備をしている様子から、その業務や置かれている境遇に対して何を考えているのかと思いました。

総じて、危険な場所とされている板門店を訪れてみて、想像以上に北朝鮮を見ることや国境を訪れることは、外国人を対象にした観光の要素も強いのかなと感じました。と、同時に「休戦状態」ということを忘れるぐらい平和だと感じる光景も見受けられたことが印象に残っています。